● しばらく切らしていたマッテオ・コレッジャ、ロエロです。バルベーラのマルンや、ロッケ・ダンプセイなど、実に秀逸なワインを供給してくれていました造り手です。当主が有り得ないような事故で亡くなった時も、バローロ・ボーイズの仲間たちが収穫から醸造までを手伝った・・・という涙なくしては語れないような実話も流れていました。久しぶりに飲んで・・引っくり返りそうになりました!・・凄いワインです!

『ロエロ』を赤ワインの産地に変えた先駆者
白ワインの産地として有名だったロエロだったが、故マッテオによって高品質赤ワインが産み出された。これによってロエロは芳香豊かな赤ワインの産地としても人気を博していく。
■ロベルト・ヴォエルッィオに学ぶ
タナロ川を挟んでランゲと向かい合う「ロエロ」。今でこそ人気の産地だが 30 年前はランゲの造り手に葡萄を供給するのが「ロエロ」の役目だった。
『当時は皆、アルネイスを栽培していた。黒葡萄は皆無だった。マッテオはネッビオーロやバルベーラで成功し、ロエロを赤ワインの産地に変えた』
若い「マッテオ」は「ロベルト・ヴォエルッツィオ」や「エリオ・アルターレ」に可愛がられていた。1976 年、彼等と共にブルゴーニュ視察に向かう。これが大きっっかけとなった。
『マッテオはブルゴーニュが軽さと複雑さを併せ持っていることに驚き、ロエロとの共通点を感じ、自信を深めた』
「マッテオ・コレッジア」が最初に注目されたのは「バルベーラ・ダルバ・マルン」。当時は安いワインの代名詞だったバルベーラのイメージを変えた。
『当時は誰も密植や収量制限を知らなかった。5000 本/ha の密植と収量制限の導入で凝縮したバルベーラとなった』
「マッテオ」は 2001 年、開墾作業中の事故で亡くなってしまう。現在「オルネッラ夫人」を中心に息子「ジョンニ」がワイン造りを継承している。
『グリーンハーヴェストでの収量制限に加え、収穫時に葡萄の下部 1/3 を切り捨てる』
葡萄は房の先端部分は糖度が低く酸度が高い。水分量も多いので先端 1/3 を捨てる。糖度が高く凝縮した上部 2/3 のみを使っている。
ロエロ最高峰ロッケ・ダンピセ
■マルン
「マルン」は特別な畑。小さな丘の最上部に位置し、東から西まで広がっている。『最も日照量の多い南西から南東に向かって熟度を計りながら 3 回に分けて収穫することで糖度と酸度を調節していく』
■ロッケ・ダンピセ
ロエロの他の造り手達も認める最高の区画。国立自然公園内になので周りは自然に囲まれている。
『表土はロエロ特有の砂質が 60%だが、地中にはランゲと同じ黄土層が存在している。よってワインはロエロとしては異質の骨格を得る』
現在、タナロ川はランゲとロエロを分ける境界線になっているが、元々はロエロの中心を流れていた。ロッケ・ダンピセは黄土土壌だったが、タナロ川の流路が変わり、丁度川が運んできた砂が積もる位置にあった為、砂と黄土が混じり、ロエロの中でも非常に独特な土壌となった。
■ラ・ヴァル・ディ・プレティ
「マッテオ」が最初にワインを造り始めた畑でカンティーナの裏山に位置する。樹齢は 80 年。『当初はネッビオーロ・ダルバとして販売していたが樹齢が高まり個性が強くなったのでロエロとしてリリースした。ロエロで最も古いネッビオーロ』
地酒であるべきアルネイス
大人気の「ロエロ・アルネイス」。彼等にとっては唯一の白の土着品種。
『アルネイスは日常酒。チャーミングだけど偉大ではない。けれども最大限に土地のキャラクターを反映させるべき。砂質ならではの華やかさをより表現したい。』
繊細な酸と果実のバランスをとることに非常に気を使っていて収穫は 2 回に分かれる。8 月最終週の収穫で酸を確保。完全に熟した 9 月中旬の収穫で完熟した果実感を得ている。そして収穫した葡萄のうち 20%はマセレーションする。フレッシュフルーティーだけでない旨みをプラスする。