● 初の扱いになります「シュヴルー=ブルナズル・ラ・パルセル」をご紹介致します。ラシーヌさんの扱いです。巷では相当に話題になっているようです。

ドメーヌ解説
長い間、ブドウ栽培に携わってきた、ステファニー・シュヴルーとジュリアン・ブルナズルの 2 人が 2012 年に興したワイナリー。ステファニーは農業を、ジュリアンは数学を学び、1995 年にヴァレ・ド・ラ・マルヌの小さな村、ロネの家へと引っ越す。17 世紀に建てられたその家は、ワイナリーを興した後は、醸造場としても使われている。シャンパーニュ地方へ移り住んですぐに、ブドウ栽培の勉強をはじめ、依頼されて畑の管理を任されるようになる。
彼らのワイナリーのシンボルにもなっている、ヤギ達とともに、7 年間暮らし、2002 年に畑の管理を請け負う委託会社を設立。Vit‘Manu の社名通り、手作業による作業、またバイオロジック、バイオダイナミック栽培による畑の管理を専門とする。
ステファニーはブドウ畑の選定の指導者としても優秀で、ジュリアンも剪定技術コンクールで金賞《 セカトゥール・ドール 》を持っている。彼ら自身のワイン造りは 2012 年だが、大小を問わず、バイオロジック栽培を手掛けるシャンパーニュの造り手たちと、20 年以上、見識と技術を深めてきた。
2012 年に、引退したあるヴィニュロンが、バルズィー・シュル・マルヌのある、小さな区画“パルセル”の畑を売ってくれた。というのも、彼ら二人は 15 年の間、そこの畑の管理を請け負っていたからだ。厳格なステファニー、想像力豊かなジュリアンの 2 人の、共通の情熱でもって、シャンパーニュ・ラ・パルセルは起ち上げられた。ラ・パルセルでのシャンパーニュ造りにおいて、全ての作業は二人一緒に行われる。お互いにプロフェッショナルとして認めあう二人。剪定、除草、トリートメントなどの、畑での作業はもちろん、醸造、瓶詰から販売まで、二人で話し合って決められる。

シャンパーニュ・ラ・パルセルについて
ビオロジック、およびビオディナミによる畑の栽培管理会社を営んでいたステファニーとジュリアンが、2012年にスタートしたメゾン。畑はマルヌ渓谷西部に特有の、斜度40度にも達する真南向き急斜面。わずか0.4haで、1983年植樹のピノ・ムニエ100%。ジュリアンはかつて、フランスの剪定技術コンクールで金賞を獲得した腕前も誇る。畑はビオディナミ栽培(2015年に認証取得)で、プレパラートも畑の周囲に生える草花を収穫し自家製。肥料も、自ら飼育する山羊の排せつ物から自家製する。2015年には古代品種アルバンヌとプティ・メリエも、ピノ・グリと共に栽培開始し、その成果も期待されている。自社生産の歴史は浅いが、栽培管理会社時代に20年以上、ビオロジック生産者との交流を重ねた知見が映る、真っ直ぐで、エレガント、ミネラル豊かなシャンパーニュは、初ヴィンテージから本国で高く評価された。2016年、新たにコジニ村に0.3haを購入した。
ヴァレ・ド・ラ・マルヌについて
マルヌ渓谷という名の通り、シャンパーニュ地方を横切るように東西に流れるマルヌ川沿いに、東西約80kmに渡って続く広大なエリア。主要な畑は川の北岸斜面、つまり南向きとなるが、川の南岸・北向き斜面にもブドウは栽培されている。土壌は石灰岩以外に、粘土質や砂質なども多様な土壌が現れる。川の主流およびその支流がかたち作る谷の地形によって、湿度が高く、また霜害も受けやすい。そのため、開花が遅く収穫が早く、病害に強いピノ・ムニエが作付けの8割近くを占める。グラン・クリュは、トゥール・シュル・マルヌ村と、南向きの急斜面を多く持ち優れたピノ・ノワールを生むアイ村の2ヶ所。
シャンパーニュについて
パリの北東約150km、北緯49~50度で、近年のイギリスなどの例外的な地域を除くブドウ栽培の北限とされる寒冷な地方。年間平均気温約10.5℃。約32900haにおよぶAOC圏は319の村、240000の区画にまたがり、栽培農家は約19000軒。自社瓶詰め生産者も約2000に達するが、全生産量の約3/4は、モエ・エ・シャンドンなど大手6社が占める。地質的には中生代白亜紀後期の白亜質石灰、およびジュラ紀キメリジアン階の泥灰岩、石灰岩が中心となる。1600年代末までは非発泡ワインの産地で、現在の瓶内二次発酵、およびデゴルジュマンを経る通称“シャンパン方式”での製法を発見・定着させたのは19世紀、ヴーヴ・クリコの功績である。よく俗説に出るドン・ペリニオンは、実際は存命時の17世紀には邪魔ものとされた泡を、いかに抑制するかに腐心したとされている。またこの地は、寒冷地ながら、ブルゴーニュよりさらに多い10.4t/haもの法定上限収量が認められている。