【これは驚き!素晴らしくピュアでナチュラル!・・でもいいのかな~・・日本じゃ・・大変なことになっちゃうんでしょうが、ところ変われば・・ですね!】

いやはや、驚きました・・。何と子供の時からワインを仕込んでいたんだそうで・・かなりの熟練の若者と言うことなんですね。
ヴェネトですから白はガルガーネガ種が有名ですが、ソアーヴェ種にトレッビアーノ種を混ぜるかどうか・・と言うようなセパージュになります。
昨今は遅熟させた葡萄で高級ワインに仕立てたものも散見されますが、ん~・・どうですかね・・高質な仕上がりとは言いかねる、ちょっと野暮ったいものが多いです。甘いしね。複雑味に乏しい感じです。
まずは「クレスタン」、一番上の写真です。通常のソアーヴェ系のワインは、重心が真ん中からやや上の方に有って、やや腰高な軽めの味わいのものが多いです。遅熟させたものは糖分が有って重心は下がりますが、軽さまでは解消されはしないと思います。
ところがこのクレスタン、適度な重みをもっているんですね・・。軽快な飲み口ではあるんですが、重心も少し下がった感じで、甘味も無い・・ドライです。ピュアでナチュラル、揮発酸的危険性の無い、優れた味わいです。価格もリーズナブルですしね。

さらに驚いたのはこの「ルーゴリ」です。ガルガーネガ100%のようです。
これが・・非常に軽快な飲み口でクイクイ行けるんですが、質感が高いんですよ。ガルガーネガと言うか、ソアーヴェと言うべきか、その範疇の中において、
「最も望ましい姿をしているんじゃないか?」
と思えるようなバランスをしているんですね。
勿論ですが、こちらも超ピュア、ナチュラル感も高く、香りのスピードは超特急ひかり号・・(古っ)・・抜栓直後から香しいアロマが飛び出して来ます。
それに飲み口が非常に良いので・・後口も美しく軽やかにたなびきます。
「これ、めちゃ旨いです!」
ラ・ビアンカーラも嫉妬するような味わいです。

そしてメルロによる赤、「ジャローニ」です。
長年に渡り、子供のころからワインを造って来た・・ってことは?・・
「・・そんな子供にワインを飲ませて良いのか?」
と言うのは日本人の器量の無さなのかもしれませんよ。土地が変われば風習も習慣も法律も・・変わるのかと。言ってしまえばヨーロッパでは日本と違い、安全な水を確保できない・・と言われています。
まぁ、ヴェネト当たりは大丈夫だとは思うんですが・・(^^;; 岩場ばかりで水を得られない所もあるんですよね。
そんな時、フランス人などはミネラルウォーターで薄めたワインを子供に飲ませていますが・・
「そんなことせんで、ミネラルウォーターを飲ませんしゃい!」
とは言いたくなっちゃいますが、それが風習なんでしょうね。
そんな、子供のころから、おそらくワインに馴染んでいたダヴィデ君、思いっきり「ワインの申し子」と言うか、「自分の好きな味わいのワイン」に気付いてしまったのかもしれません。
「実に感性の豊かさ、確実さを感じるメルロの味わい!」
を感じました。
完成形を想像しながらでなければ、ワインは醸造できやしませんが、おそらくもう、そんな感覚は身についてしまっているのでしょう。
非常に高質な、ポテンシャル高いイタリアン・メルロとは申しません。凄いワインが有りますからね。マセトとかマッキオーレさんちの奴とか・・。
でも、おそらく彼は、そんなワインは美味しく無いと思っているんじゃないでしょうか?・・是非飲んで、この味わいを確かめて欲しいと思います。
なお、ドルチェ・ラクレイ・ビアンコ・フリッザンテは3本しかないので・・飲めませんでした。やや甘めに仕上げた弱発泡酒だと思います。
感性を感じる素直なワイン・・そんな印象です。是非飲んでみてください。お勧めします!
■オータ社長より
2006年からボトリングを開始していますので、もうかれこれ6ヴィンテージ目、で24歳・・・そうなんです、日本でいうところの未成年の時からワインを造っているんです!!
スピッラレ家は兼業農家としてブドウ栽培を営んでいて、収穫したブドウのほとんどを近くのワイナリーに売却をしていましたが、一部のブドウを残し、陰干しして仕込んだ甘口のワインを、ボトル内で2次醗酵を促させたレチョート スプマンテを自家消費用に生産していました。
ダヴィデのお父さんがアンジョリーノの友達だったということもあり、小さな頃からアンジョリーノの家に出入りし、アンジョリーノが実践しているような畑やワイナリーでの仕事に魅了されます。農業学校に通いながら、アンジョリーノの所にも足繁く通い、ノウハウを学び、自らも実践するように。
ワイナリーとして発足する前からも実験的にワインを造っていて、その当時のワインも10代少年が造ったとは思えないほどの完成度だったりします。
2006年に祖父と父親から2ヘクタールの畑を譲り受け、ボトリングの権利も取得、生産を始めますが、数百本しか生産せず、地元で完売してしまったため、2007年が本格的にワインを生産した年になります(とはいえ2-3000本程度ですが)。
彼が持っている畑の面積を考えたら、もっと大量に生産することも可能なのですが、現在までのところ、問題なく売り切れるであろう量を生産し(4-5000本)、残りのブドウは他のワイナリーに売っているようです。
ダヴィデのお祖父さんが植えた、樹齢約70年のガルガーネガ、この畑からビアンコ ルーゴリ ヴィーニェ ヴェッキエは生まれます。
周りから伝え聞いた話なのですが、彼の親戚で、いわゆる大手メーカーのワインの仲買人みたいな仕事をしている人がいるらしく、その彼が農薬を多用してのもっと楽な農業、化学肥料を使用して高収量、ワイナリーでもテクノロジーに頼る近代的な醸造法をやったらいいのにとダヴィデをそそのかしているようなのです。その親戚に対して、ダヴィデの父親も強く息子を擁護することができないでいて・・・。
そして今回、ダニエーレ ピッチニンからは、ダヴィデは自分の畑の作業以外に、他の人の畑のトラクター仕事(耕起、除草、農薬散布など)も請け負っているということ、そしてそれは考えられないくらいの面積を手がけていのだという話を聞きました。24歳にして腰が痛いを連発すること、いつも疲れていること、そしてすぐにメールの返信が返ってこないの理由がようやく分かりました・・・。
写真を見て頂いて判る通り、はっきり言って”華”がありません!シャイだし、自分からコミュニケーションをとることはまずないし、請求書送ってとお願いすれば必ず計算間違っているし、連絡は遅いはで・・・。
しかーし、自分のワインについて話している時の彼の目の輝きようったら素敵なんです。
兄弟子(あにでし)であるダニエーレ ピッチニンが1ヴィンテージ目から圧倒的な存在感でワインをリリースさせられたのには、やはり進退を絶ってワイン造りをすることを選んだダニエーレの覚悟や気合が乗り移ったものだったからだと思うのですが、ダヴィデのワインは品質的には何の問題もないが、ワインからそこまでの強い覚悟(それがワインに個性を与えるのだと僕は信じています)を感じなかったりします。
とはいえ、僕が20代前半だった時に何ができていたと言うのでしょう?恐ろしく何もできてなかったです・・・。つまり・・・ダヴィデは偉い!!
アンジョリーノもこう言っていました。
「俺がある程度ワインを売れるようになったのは、始めてから10年くらい後だったよ。だけどダヴィデに同じくらいの時間を耐えさせるのは無理だと思うんだ。若いし、俺と置かれている状況も違うし・・・。だから俺たちがあいつのことをフォローしてあげないと。」
アンジョリーノは、アンジョリーノの道を歩むことで、ダヴィデも歩める道を作り、心無い大人から擁護すべきときに擁護し、でヴィナイオータはというと、たくさん買って、売って、そしてまた買って・・・というサイクルを実現することこそ彼をフォローすることとなり・・・。
ヴィナイオータのフラッグシップ的ワインであり、最も数を動かしている看板商品であるラ ビアンカーラのワインと同じ地域の無名なワイナリー、ダヴィデとの取引は会社的には賢明な選択ではなかったと思います。
それでも僕がやるべきだと考えたのはこういった理由からなのでした・・・、もちろん美味しかったことも理由のひとつですよ!
というわけで皆さん、彼にもっと凄いワインを造ってもらうためにも、覚悟させちゃうような状況を作っちゃいませんか?まずは、ブドウを売らずに全部自分で仕込めるようになるところが第一歩目かと。
彼に会ったら、「ダヴィデ、お前のワインほんと旨いよな!俺たちもガンガン飲むから、お前も頑張れよ!」って感じで声掛けてあげてください!!