
近年のブルネッロは確かに美味しくなったが、どこかとても平均的に綺麗で、どこにも欠点が無く、深く濃いものが多いです。評価も非常に高いですし、価格もビックリするような高値で取引されています。
コンティ・コスタンティの場合はそれでもまだ、この位の価格ですから・・とてもリーズナブルだと言えるでしょう。最近は評価も安定してきまして、また2012年もののブルネッロがワイン・アンスージャストで2017年選出のTOP100の第一位になっており、時代もコスタンティに追い付いてきたような気もします。
そんな中でブローカー仕入れですが、非常に良い出来だった2007年と2011年のブルネッロが入手出来ましたのでご紹介させていただきます。昨年は2009年ものをご紹介させていただき、かなりの反響をいただきました。
やや透明さが強いミネラリティの多かった2009年は、とても綺麗でエキシーで、心にグサリと刺さってくるような凄みある美味しさでした。
2011年ものは・・写真のホワイトバランスが結構違いますので一概には言えませんが、赤みが強く、豊かな味わいを想像させるような半透明なミネラリティが多いように見えます。
抜栓直後よりとても饒舌で、熟れた黄色いメロンのようなアロマがノーズに飛び込んできます。ほんのりと紅茶のフレーヴァーに黒いスパイスのトッピング、グラスに注ぐ前から楽しませてくれます。
2009年ものの良い感じに熟したバランスに比較すれば、ほんのり若い感じはしますが、一口含んだだけで、このワインの素性を思い知らされます。
激しさや闘争心、反面の優しさと愛情、絹ごしの滑らかさとややゴツゴツしたガレストロ的な舌触りが同居しています。黒や茶・・コーヒーとか甘く無いチョコなどの質感の高いノーズに、凝縮しつつも嫌らしさの無いスマートな果実群がどんどん染みて来ます。
勿論、余韻も非常に長いです。何より、口から入って頭で感じながら飲んでいると言うより、いきなり感性に直結させられてしまうような「凄み」が有り、真正面から対峙せざるを得ない状況に追い込まれてしまっているかのようです。
これは素晴らしいですね。もしかしたら、ブルネッロでは一番好みかもしれません。ステンレスタンクで発酵後、フレンチオークのトノー(900L)とスロヴェニアンオークの大樽での48カ月熟成、瓶熟12カ月と言う仕上げですが、この相反するような優しさと激しさなどの要素は、これからまとまろうとしているワインの、今の表情なのかもしれません。
それでも心に直接響いてくるかのような味わいは、肯定感で溢れています。今飲んでもとても美味しいです。少し早いですけどね。それでも飲めてしまうポテンシャルです。
2011年ものはワイン・アンスージャストが95Point、アドヴォケイト92Pointsのようです。
数が買えなかった2007年はグレートイヤーと言えると思いますが、アドヴォケイトが96Points、ワイン・アンスージャストが92Points で・・・何だかな~・・です。因みに2007年はリゼルヴァを造っておりまして、ティム・アトキン氏が97Points と評価しています。ブルネッロの場合、意外に多いパターンですが、リゼルヴァと普通ものの差が余り無いことが多いような気がしています。
そんなことを言いつつ、以前書いた2009年のこのブルネッロのレヴューを読み返してみると・・似た様なことを書いてますね・・。自分でも呆れました。でもそれだけ、一貫した味わいを感じているということなのかもしれません。
やはりこのブルネッロは本物です。是非とも飲んでみていただきたいと思います。非常にリーズナブルです!
以下は2009年のこのワインのレヴューです。
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【これを飲まずに何を飲む!?これぞ本物中の本物、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの姿です!】
このような本格派のブルネッロ・ディ・モンタルチーノは、今や絶滅寸前・・と思われますが、コンティ・コスタンティのブルネッロは、ブルネッロとして本物・・と言うのも間違いありません。
しかしながら、
「本物のワイン!」
と言うものが何か有るのか?・・と問われた場合、最右翼だと言える一人でしょう。ブルネッロとしてだけでは無く、旧来からの伝統的な造りをしたワインと言う点でも評価に値すると言えます。
それは、もしある程度ワインを飲みこんでいる方で有れば、こんなワインに出会えば、その表現のスケールの大きさ、構造の巨大さ、ディテールからほとばしる感覚を揺さぶる表現など、簡単に受け取れることでしょう。好き嫌いは有るとしても・・です。
昨今の牙を抜かれたような軟弱なブルネッロ・ディ・モンタルチーノでは味わえない・・表現は妥当では無いかもしれませんが、胸倉をつかまれて身体を揺さぶられ、感情に訴えられ、心が動いて・・と言うような感覚さえ受けます。
一時期流行ったバリック一辺倒のゆるやかな酸化による醸造段階への寄与は、確かに「早い段階からの濃密な美味しさ」をブルネッロ・ディ・モンタルチーノにもたらしましたし、健全で衛生的な近代設備による醸造も、造り手の意思の発露としてのワイン醸造には、多くの点でメリットが有ったと言えます。
しかしながらその一方では、元々持ち合わせていた巨大な構造やスケールの大きさなどから伝わって来る感覚は確実に矮小化され、しなびたものになったと言えます。
まぁ、飲み手としても、とにかく丸い球体のような、トロリと滑らかで優しい味わいを好みますから、このような、若い時期にはやや暴れん坊で、飲む時期を探りながらの本格派ワインと言うのは、付き合い辛い代表なのかもしれません。
それでもこの素晴らしいブルネッロ・ディ・モンタルチーノには、そんなワインたちが
「軟弱の極みに見えてしまう」
だけの存在だとも思えます。

左の写真は、ついこの間まで在庫していた先代のエミーリオの1970年のブルネッロです。コスタンティでは良い年はリゼルヴァを造りますから、それが欲しかったんですが見当たらず、それでもいつか飲みたいワインの筆頭でした。40年ものですからね。まさに飲み頃だったんじゃないかと想像しています・・いや、開けてみないと様々な情報は得られませんから、実際はどうか、判りませんよ。
例えばボルドーの1級シャトーものなども、その昔はやはりそのような伝統的な造りのワインたちでした。今もそうじゃない・・とは言い切れはしないものの、やはり軟弱化はしていて、早くから飲めるし結構に早くから美味しい・・です。クリーンだし緻密だし、何も文句の言いようのない素晴らしいワインだとは思います。
しかし、1960年台のボルドーが持っていたような、飲む人を震えさせるような感動を、今もな内包しているのか?・・と問われると、非常に疑問です。
魂を持っているものからだからこそ、魂に響くのだ・・と言うような、ちょっと原理主義?が入ったような感覚から言えば、まさにこのコスタンティのブルネッロはそんなワインの筆頭でしょう。
確実に何かに例えたくなってくる見事な表情には、確かにまだ未到達だと思わせるものが有ります。しかしながら、ソフィスティケイトされてしまった、もしくはアドヴォケイトなどに首に鈴を付けられざるを得ない弱い立場の造り手は、流れの中で、自身の考え方を変え、方向性を見失ってしまっているのかもしれません。
「かのカーゼ・バッセがやったことは何だったのか?・・伝統回帰では無いのか?・・それこそが真の答えなんじゃないか?」
このコスタンティのブルネッロ・ディ・モンタルチーノ2009年を飲むと、そのようにさえ感じてしまう自分がいます。ワイン評論家さんたちの評点は、ファルスタッフ・マガジン 93Points、タンザー 91Points とまぁまぁでは有りますが、評点のみからは、このワインが持つとんでもない魅力は伝わっては来ないでしょう。
素晴らしい真のブルネッロです。この巨大な構造に是非とも触れてみて欲しいです。まだ少し若いですが、それでもこの訴えは物凄いです。勿論、30年経ったら・・トロットロ・・官能を震わせるワインになっているでしょう。お勧めします。