● フィネスさん輸入・正規品の2016年エマニュエル・ルジェです。リアルワインガイドの最新号65号は、3シーズン連続で物凄いことになっちゃいました。100↑点と100点が乱舞しています。
ヴォーヌ=ロマネ・レ・ボーモン2016年はポテンシャル98点、ニュイ=サン=ジョルジュとヴォーヌ=ロマネの各村名もポテンシャル96点・・です。これ、全く以って、
「グラン・クリュでも中々出せない脅威のポイント!」
です。
これも何度も申し上げているので陳腐化して感じられるに違い有りませんが、まだ noisy たちが若いころに出会って驚愕の余りしばらく「ホケっ」として言葉も出せなかった思い出の有るアンリ・ジャイエのニュイ=サン=ジョルジュと、ほぼ重なるんではないか?・・と思える評価です。
その出来事を持って、完全にワインの世界に閉じ込められたのかもしれない・・と、今でも思ってしまいます。完璧だと・・思ったものです。
アンリ・ジャイエは師でも有り、またその甥っ子でもあるエマニュエル・ルジェは、師の引退表明後も一生懸命に畑仕事に出ているジャイエ翁の姿を見つつ、醸造の技を習得して行ったと言えます。
余りに偉大な師、そして引退を表明してもまだ現役同様に仕事を続ける師。80年代から90年代前半までのエマニュエル・ルジェのワインは、ヴィンテージにより揺れ動いていると感じました。しかしそれは偉大過ぎる師とついつい比べてしまうワインファンやプロたちの、期待と穿った目にも寄ったのだと思います。師のワインと似ていたり、似ていなかったり、そう揺れ動いてはいても、ルジェはルジェのワインをしっかり造っていたんだと思います。
余りの期待の大きさに押しつぶされたのか、また別の理由かは判りませんが、noisy が感じるには90年代中盤以降、コアを感じない腑抜けなように感じてしまうワインをリリースしていた・・と思います。師はまた畑に出ているのにエマニュエル・ルジェは朝からアルコールを摂取して寝ている・・なんて噂が立ったものです。少なくとも2000年頃まではアンリ・ジャイエはエマニュエル・ルジェをサポートしていました。
そしてこの数年です・・劇的に復活したと、noisy は感じています。・・いや、最近のワインは偉そうに言うほど飲めちゃいません。それでもエマニュエル・ルジェのワインも、ニコラ・ルジェのワインも少しずつですが飲め、そして感じることは、
「アンリ・ジャイエのワインに寄っては来たが、エマニュエル・ルジェはやはりエマニュエル・ルジェ!」
だと言うことです。独特の官能感・・・確かに熟したアンリ・ジャイエには似たニュアンスが有ります。しかし今のルジェのワインには、安易に官能感と表現するのも憚られるような凄みを持ったアロマさえ感じます。
2016年もののルジェ・ファミリーのワインには、「ルジェ・ペール・エ・フィス」のクレジットで何アイテムかリリースされています。しかしまだ、ニコラ・ルジェのクレジットのワインも有ります。
ニコラ・ルジェのワインは一旦ルジェ・ペール・エ・フィスに移し、その後にエマニュエル・ルジェに移管するものと考えられますから、本当に息子さんへのバトンタッチは目前なのでしょう。
そのタイミングで物凄いワインを造ることに到達した訳ですが、それは、師であるアンリ・ジャイエの幻影から距離を置き、自身のワインを造ることに成功したことの証でしょう。歴史に残るワインかと思われます。ご検討くださいませ。
超えか?・・200点でも良いって・・意味が分からないぞ!・・で、ものの見事に「100」という字が並んでいます。
それに良く見ると「100」の文字の右側に「↑」が・・
それを見て、noisy は察したことが有ります。話せば随分と昔のことです。
1999年~2000年頃だったかと思いますが、あるお客さんが電話をくれました。インターネットでワインを購入された方からでした。
「(・・ん?・・その名前の人って、昨日だか発送したばかりのはず・・。品物でも間違えたかなぁ・・)」
などと思いつつ、電話に出たんですね。
すっかり何か不都合でも有ったかと思いつつ、恐る恐る電話に出ると・・
「いや~!・・感動しました!素晴らしい梱包ですね。こんな風にしてくれるショップさんは初めてです。ワインのことを考えてくださって有難う!」
・・と、かなりのハイテンションでほめてくれました。
「えっ?・・はい、どういたまして・・」
と、完全にその人のペースに巻き込まれてしまったのを覚えています。・・何を隠そう・・その方こそ、
「100↑」
の張本人です・・(^^;;
で、それから半年くらい経ったころ、そのT丸さんからまたお電話をいただきまして、ワインの雑誌を創りたいんだと・・是非協力してくれと言うことで、後日店にいらっしゃることになり、リアルワインガイドと言うまだ影も形も無い雑誌への熱い思いと、テイスターとして力を貸して欲しいとのことを要請なさったんですね。で、今に至る訳です。もう20年近くにもなるんですね・・。
で、ここからはうろ覚えですが、創刊号のテイスティングだったかな・・と思うんですが、確か1999年のエマニュエル・ルジェをテイスティングしたんですね。2001年頃だと思います。創刊号は足掛け2年の歳月が掛かってますし、当初のリアルは1年に1回しかリリースしていなかったんですよ。まぁ・・とても真剣にテイスティングしていました。
で、アンリ・ジャイエ繋がりのルジェのテイスティングとあって、まぁ・・10名以上、いらしたんななかったかな?・・凄く沢山でテイスティングした覚えが有ります。
でも、そこで問題発生・・いや、問題と言うのはどうかな・・と思いますが、皆さんが軒並みクロパラとかエシェゾーとかに高いポイントを付ける中、noisy は一人、余り冴えない評価点しか付けなかったんですね。
「・・ぁ、noisyさんはルジェ、嫌いなんだ・・」
とおっしゃるので、
「・・いや、嫌いじゃないですよ。でも90年代初頭までのルジェと比較すると・・こうなっちゃいますね。」
と。
つまりは、事実上、アンリ・ジャイエが後見人としてバックにしっかり付いていた80年代後半から90年代前半までのエマニュエル・ルジェのワインは、やはりどこかにアンリ・ジャイエの味わいを感じていたんだと思うんですね。昔からルジェを飲まれていらした方は、おそらくそのようなイメージを持って、現在までのルジェのワインに相対していたと・・思うんです。
noisy 的には、ジャイエに似ているとかいないとか・・では無くて、ある種の完璧さを持った味わいをしていた創生期のエマニュエル・ルジェと、どこか中抜けして感じられた時期との比較が評価に現れたと思っています。
それが正しいとか、間違っているとかでは無く、言いたいことは、
「リアルワインガイドによる2014年のエマニュエル・ルジェの高い評価は、畑仕事重点に原点回帰したルジェを感じ取ったから」
じゃないかと思うんですね。
そこにジャイエの姿が有ろうと無かろうと、2013年ものまでのルジェとは根本的な部分が大きく変わり、香りを嗅ぎ、口にした瞬間に・・
「頭の中が真っ白」
になるような衝撃を受けちゃったんでしょうね・・。
それこそが、アンリ・ジャイエを初めて飲んだ時の衝撃でも有りました。あり得ないパレットを描き、脳髄を幸福な感覚が襲ってくる・・そして、パーフェクトだと思わされてしまうような凄さ・・です。
まぁ、判りませんよ。そうじゃ無いかもしれません。でも、紙面の文字から、そしてとても長い付き合いから・・(^^;; きっとそうじゃないかと思ったんですね。
2014年のエマニュエル・ルジェは、フィネスさんからそれなりの数をいただけました。数えるほどだった前年よりかなり多いです。それでも、昔のように簡単にテイスティングできるような量では有りません。
まぁ、「エマニュエル・ルジェ?・・それって、誰?」・・とおっしゃる方には不要のコラムだと思いますが、ワインを愛する人々の多くは、その名を知っているでしょう。そして経験者はそのワインを開けることで、その時代、その時を生きていた自分、大事な人、その団らんの風景を目の当たりにするように思い出すでしょう。少ないですが是非ご検討いただきたいと思います。
■エージェント情報
あのアンリ ジャイエ氏を叔父に持つエマニュエル ルジェ氏は、偉大なる叔父からワイン造りを学びました。叔父の教えを尊重し、最高品質のものを造るという姿勢のエマニュエル氏のワインは、その外見とは裏腹に非常に繊細で芸術とも言える出来上がりになっています。
また、同じく叔父のジョルジュ ジャイエ氏の畑を分益小作してのワイン造りも行っています。2人のワインの違いはテロワールよりも樽の使い方にあり、畑の位置や耕作、醸造などはほぼ同じですが、ジョルジュ氏のワインは新樽が使われていません。
葡萄栽培に関してもアンリ ジャイエ氏の哲学を受け継ぎ、葡萄は出来るだけ自然な方法で育てること、葡萄の収穫は早すぎても遅すぎてもいけないので、その年にとって適切な収穫時期を見極めること、収穫量を厳しく抑制することを心掛けています。畑仕事を重視するルジェ氏の手は荒れてゴツゴツとしていて固く、まさに農民の手です。
収穫は全て手摘みで、
「ピノ ノワールのワインに葡萄の梗を入れるなど考えられない」
と言うエマニュエル氏は除梗を100%行っています。アルコール醗酵前に5~7日間低温浸漬をし、アロマとピノノワールの色を引き出します。アルコール醗酵にはコンクリートタンクを使い自然酵母で15~20日間行われ、約18ヵ月樽で熟成させてから軽めに清澄をし、フィルターにはかけずに瓶詰されます。