
このような本格派のブルネッロ・ディ・モンタルチーノは、今や絶滅寸前・・と思われますが、コンティ・コスタンティのブルネッロは、ブルネッロとして本物・・と言うのも間違いありません。
しかしながら、
「本物のワイン!」
と言うものが何か有るのか?・・と問われた場合、最右翼だと言える一人でしょう。ブルネッロとしてだけでは無く、旧来からの伝統的な造りをしたワインと言う点でも評価に値すると言えます。
それは、もしある程度ワインを飲みこんでいる方で有れば、こんなワインに出会えば、その表現のスケールの大きさ、構造の巨大さ、ディテールからほとばしる感覚を揺さぶる表現など、簡単に受け取れることでしょう。好き嫌いは有るとしても・・です。
昨今の牙を抜かれたような軟弱なブルネッロ・ディ・モンタルチーノでは味わえない・・表現は妥当では無いかもしれませんが、胸倉をつかまれて身体を揺さぶられ、感情に訴えられ、心が動いて・・と言うような感覚さえ受けます。
一時期流行ったバリック一辺倒のゆるやかな酸化による醸造段階への寄与は、確かに「早い段階からの濃密な美味しさ」をブルネッロ・ディ・モンタルチーノにもたらしましたし、健全で衛生的な近代設備による醸造も、造り手の意思の発露としてのワイン醸造には、多くの点でメリットが有ったと言えます。
しかしながらその一方では、元々持ち合わせていた巨大な構造やスケールの大きさなどから伝わって来る感覚は確実に矮小化され、しなびたものになったと言えます。
まぁ、飲み手としても、とにかく丸い球体のような、トロリと滑らかで優しい味わいを好みますから、このような、若い時期にはやや暴れん坊で、飲む時期を探りながらの本格派ワインと言うのは、付き合い辛い代表なのかもしれません。
それでもこの素晴らしいブルネッロ・ディ・モンタルチーノには、そんなワインたちが
「軟弱の極みに見えてしまう」
だけの存在だとも思えます。

左の写真は、ついこの間まで在庫していた先代のエミーリオの1970年のブルネッロです。コスタンティでは良い年はリゼルヴァを造りますから、それが欲しかったんですが見当たらず、それでもいつか飲みたいワインの筆頭でした。40年ものですからね。まさに飲み頃だったんじゃないかと想像しています・・いや、開けてみないと様々な情報は得られませんから、実際はどうか、判りませんよ。
例えばボルドーの1級シャトーものなども、その昔はやはりそのような伝統的な造りのワインたちでした。今もそうじゃない・・とは言い切れはしないものの、やはり軟弱化はしていて、早くから飲めるし結構に早くから美味しい・・です。クリーンだし緻密だし、何も文句の言いようのない素晴らしいワインだとは思います。
しかし、1960年台のボルドーが持っていたような、飲む人を震えさせるような感動を、今もな内包しているのか?・・と問われると、非常に疑問です。
魂を持っているものからだからこそ、魂に響くのだ・・と言うような、ちょっと原理主義?が入ったような感覚から言えば、まさにこのコスタンティのブルネッロはそんなワインの筆頭でしょう。
確実に何かに例えたくなってくる見事な表情には、確かにまだ未到達だと思わせるものが有ります。しかしながら、ソフィスティケイトされてしまった、もしくはアドヴォケイトなどに首に鈴を付けられざるを得ない弱い立場の造り手は、流れの中で、自身の考え方を変え、方向性を見失ってしまっているのかもしれません。
「かのカーゼ・バッセがやったことは何だったのか?・・伝統回帰では無いのか?・・それこそが真の答えなんじゃないか?」
このコスタンティのブルネッロ・ディ・モンタルチーノ2009年を飲むと、そのようにさえ感じてしまう自分がいます。ワイン評論家さんたちの評点は、ファルスタッフ・マガジン 93Points、タンザー 91Points とまぁまぁでは有りますが、評点のみからは、このワインが持つとんでもない魅力は伝わっては来ないでしょう。
素晴らしい真のブルネッロです。この巨大な構造に是非とも触れてみて欲しいです。まだ少し若いですが、それでもこの訴えは物凄いです。勿論、30年経ったら・・トロットロ・・官能を震わせるワインになっているでしょう。お勧めします。