● noisy にとっては少し懐かしい、その昔ちょっとしくじった感じが今も残る造り手の一人です。以前は「ドメーヌ・ギィ・ルーロ」と名乗っていたはずで、ジャン=マルク・ルーロ名のワインも有ったように記憶していますが定かでは有りません。
この数年、送られてくる様々なリストや情報に目を通すと、やたら「ドメーヌ・ルーロ」の文字が目に付き、しかもやたらと評価が高く、そのプライスたるや、
「ACブルで・・?村名ムルソーで・・?・・ホントにこんなに高いの?」
と動転してしまうほど・・でした。
何を隠そう、その昔・・と言っても2000年頃までの事では有りますが、評判の良い「ドメーヌ・ギィ・ルーロ」のワインを試そうと、いくつかのアイテムを仕入れました。その頃はある程度は名を馳せた感じにはなっていましたが、やはりなんと言っても大御所の、
「コント・ラフォン」
「コシュ=デュリ」
が他を人気でも価格でも引き離しており・・どうでしょうね・・そこにムルソーでは有りませんがやはりあの人、ドヴネ、ルロワが御三家みたいな感じのところに「アルノー・アント」が殴り込みを掛けているみたいな雰囲気で理解していました。
「やはりギィ・ルーロはちゃんと飲まんといかん・・」
と思って仕入れて飲んでみたんですね。
まぁ、確かにそこそこに美味しいのは美味しかったんですが、どうにもこうにも・・
「捉え所の無い仕上がり」
のように思え、自身の中で「結論」を出すには至らなかった訳です。それはこのようなことです。
アイテムに寄ってはコント・ラフォン風のバリックを効かせた大柄な仕上がりのものと、また別のアイテムは妙にフレッシュで、酸の美しさや多様さを見せるようなフルーティさの有る仕上がりのものが混在していたんですね。
「・・これって・・一体どういうことなんだろう・・」
と、結局良く判らないままになってしまい、その後は代理店さんの絡みやらなんやらでウヤムヤになってしまったまま現在に至ったんですね。
まぁ、若気の至りと言うか経験の薄さと言うべきか、はたまたはその頃の輸入されたワインの状態も有ったのでしょうが、時に、
「・・ん~・・イマイチだな~・・」
と言う感触のままでいた訳です。
で、またそんな評価の良い情報にさらされつつ何年も過ごし、たまたまあるエージェントさんのリストを見たところ、
「ドメーヌ・ルーロ」
の文字が有るじゃぁ無いですか!
しかも、常に在庫はゼロで「割り当て品」と記載されていました。つまり、ルーロの案内は noisy のところには絶対に来ない・・と言うことです。話しさえ無い・・無かったんですね。
そこで、昔からそれなりに長い付き合いの有る「担当」さんに連絡したところ、
「noisy さんは権利無しなんですよね・・ん?・・ちょっと待てよ・・あ、来年なら少しだけですが権利が発生するかな・・?」
と訳が良く判らない返答・・。
「・・じゃぁ・・来年は頂戴ね・・」
と言うことにして電話を切った訳です。
で、そろそろだなぁと・・電話をしてみると、担当さんもすっとぼけた感じで・・
「・・あ、・・そうですね・・少しだけですがお送りします・・」
「(・・こいつ・・すっかり忘れてたな!!)」
とは感じたものの、そこでちゃぶ台をひっくり返すほど若くも無く、黙っていただいたのが今回の分です。
「・・こんだけか~!・・しかも高いし~!」
と言う訳で、とても飲めるような数量では無い・・んですが、足掛け四半世紀にも及ぶ疑問を少しでも解消すべく、
「滅茶希少で高価なブルゴーニュ・ブラン」
を赤字覚悟で開けてみました。
すると・・どうでしょう・・いや、昨今のドメーヌ・ルーロの人気と価格についても・・納得してしまいました。
「ん~・・・ここまで来てるのなら・・この価格も数も・・仕方ないな・・」
ACブルを飲ませていただきましたが、上級キュヴェも飲みたくなってしまいました。
と言う訳でして、上級キュヴェは来年以降のお楽しみとさせていただき、非常に希少なルーロのワインを中途半端では有りますがご紹介させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

ムルソーの造り手として名高いルーロ家は1830年、Guillaume Roulot氏がムルソー生産を手掛け、高い評価を受けるドメーヌとなりました。
第一次世界大戦時Paul Roulot氏が畑を改植、その息子であるGuy Roulot氏が1950年から1960年代に畑の拡張を行いました。彼の死後、この歴史あるブドウ畑とセラーはアメリカ人醸造技術者のTed Lemon氏により守られました。1989年、Jean-Marc Roulot氏の手にワイナリーが戻り、ルーロ家の手による経営が再開されました。