● なんと・・あのヴェロニク・ド・マクマオンのアントワーヌが、20年余の時を超えて復活しました!・・
「・・って・・誰だっけ?」
と言われてしまうに違い無いんですが・・それでも、Noisy wine の古いお客様は、
「・・えっ?・・あのマクマオンが?!」
と言っていただけると思うんですよね。
まぁ、今度この造り手さんを引っ張って来た、今やだれもが注目しているに違い無い「オルヴォー」さんですから・・。そりゃぁ・・黙って見逃す手は無いと思いません?
因みにオルヴォーさんは、マクマホンとおっしゃっていますが、noisy 的には「マクマオン」です。そもそもヴェロニク・ド・マクマオンとは言っても、その造り手自体は、
「アントワーヌ・ヴェルシェールさん」
です。
「・・・ん?・・ヴェルシェール?・・じゃぁ?」
そうなんですね・・あのローヌの「ジャブレ・ヴェルシェール」「ポール・ジャブレ・エネ」の血筋なんですね・・。マクマオンと言うのは姻族の血筋で、「ド」が付く・・伯爵家のご出身です。・・だから、ドメーヌ・ド・何とかと名乗りが有ったら「ド」は略さないでね・・と昔はHPでお願いしていました。
で、アントワーヌさんの写真も見つけたんですが、ちょっと使用権の問題が出そうなので今回はすみません。代わりに、2019年~2020年頃の・・
「・・みんなある意味、超驚いた・・味わいにも価格にも!」
と言う貴重な写真?を再度調整してアップさせていただきます。・・これです!・・さすがにもう持っていらっしゃる方はいないでしょうね・・。

下の大きめの写真は、少量だけ残っていたムルソー・メイ=シャボーを再度取り直して再掲載した時の写真でしょう。昔は非常に小さな写真でやっていたんですよ・・ネットも創世記でしたから・・。
ま、ある意味・・ネットで写真付きでワインを販売しはじめたのは、決して・・X天さんじゃ有りませんで、noisy が初です。エライ苦労して・・出始めたばかりの映りの悪いデジカメを駆使して、騙し騙し小さな写真でやっていたのが1990年代後半です。このワインはその少し後になってから、ラシーヌさんが輸入したものでした。
まるでエネルギーの塊を口にしているようなワインでした。その頃、少し前から正体が判明しつつあった、
「自然派ワイン」
ですね。
まぁ・・ポール・ジャブレ、ジャブレ=ヴェルシェールですから・・その流れも有ったのかと・・今になっては理解出来ます。
そしてそのアントワーヌは5年ほどドメーヌを閉じてしまったんですが・・
「その原因がここに在った!」そうです。
まさにエネルギーをミネラリティで包み込んだ素晴らしいリーズリングやケルナー、シャルドネ、ヴェルシュリースリングです!
あ・・因みに「ジャンシス・ロビンソンさん」の評点を掲載していますが、
「まったく同意できない評点」
でした。点の高低についてではなく、どのワインが白眉な仕上がりか・・と言う一点です。やはり価格も一番高い、
「2021 レンシュキ・リーズリング 」
は、頭一つ抜けています・・とんでもなく素晴らしい出来です!
他のキュヴェも素晴らしいですが、レンシュキには追い付かないのが事実です。なのでジャンシスさんの評点には惑わされないよう・・お願いいたします。彼女はワインにミネラルは内包していない・・などと言っていたので・・noisyは個人的にイマイチです。
安くないにせよ、高くないです。レンシュキ・リーズリングを今飲めば、どなたでも・・
「半端ない出来だ!・・素晴らしい!」
と言っていただけるでしょう。
その他のキュヴェは、比較しますと現時点では幾分判り辛いかもしれませんが、1996~2001年あたりのヴェロニク・ド・マクマオンのワインに親しまれた方なら全く問題なく、ご理解いただけるはずです。ぜひご検討くださいませ。お勧めします!(Noisy wine の登録としましては、1996年シャサーニュ=モンラッシェ・アビィ・ド・モルジョも有りました・・)
■ エージェント情報
ブルゴーニュのバブルとも言える狂乱の高騰が続く中、ブルゴーニュで研鑽を磨いた造り手たちが新天地を求めて旅立ちました。今やワインにおける国境すら感じさせない珠玉のワインを造り出しています。
ブルゴーニュ、オーセイ・デュレスの地で唯一無二の個性とも言えるワインを造り出していた Veronique de Mac Mahon(ヴェロニク・ド・マク=マホン)、わずか5年程度のリリースしかなかったためご存知の方は多くはないかと思います。
貴族の名門に生まれたアントワーヌ・ヴェルシェール氏は2000年にドメーヌを設立しましたが、2005年に家庭の事情で已む無く畑を手放すこととなりました。そして今、スロベニアの地で、現代的ブルゴーニュが失った個性を輝くように放つワインをリリースしました。
当時、長期の樽熟成に由来するエネルギーに満ちた個性は先端を走るどの造り手にも類似していなかったように記憶しています。
ルネサンサを試飲して、内に秘めた巨躯、圧倒的なダイナミズムと静謐さ、現代的な造りには無い樽香を纏うような荘厳な存在感に打ちのめされました。
2007年のワイナート誌で当時の主筆である田中克幸氏はヴェロニク・ド・マクマホンのワインについてこう書いています。

『高い凝縮度と、うねりのあるエネルギー感と、芯の強いミネラルと、全体を貫く品位のレベルが違う。これが村名格付けとは信じがたい。やはりこれは造り手の個性だ』。
ルネサンサの畑は既にビオロジック転換が始まっているとはいえこれがアントワーヌ氏による初ヴィンテージとは思えないほどの完成度です。力みのない凝縮感、精緻な構成ながら緊張感を強いない余韻。ブルゴーニュが高騰したと嘆く愛好家の方、それでもやっぱりブルゴーニュから離れられない僕のような方にはこの上ない朗報です。
入荷数量が非常に少ないため、限定での案内になってしまい申し訳ございません。未来に向けて是非ともお力添えをいただければ幸いです。
先述したワイナート誌には続きがあります。スロベニア、マリボルの地を見出すことを予見するようなことばでした。
アントワーヌ氏の才能を認める田中克幸氏に対して。
『それより僕はウィーンに住みたい。オーストリアに畑を買ってワインを造りたい。リースリングが好きだ。どの産地がいいだろう。姉ふたりの娘の教育にもウィーンがいいと思う……』。
ブルゴーニュにリースリングを植えたら?
そんな妄想に答えを出すようなワインを造ってくれました。どうぞよろしくお願い致します。
(村岡)

ボーヌで醸造の勉強をし、イタリアのFranciacorta(フランチャコルタ)で6ヶ月間スタージュをしたAntoine Jaboulet-Vercherre(アントワーヌ・ジャブレ=ヴェルシェール)はブルゴーニュのオーセイ・デュレスで白ワイン(Meursault. Auxey-Duresses. Bourgogne Grand ordinaire. Bourgogne Aligoté)を造っていました。初ヴィンテージは2000 年でした。順調に経験を重ねてはいましたが、家族の事情で畑を売らなければならないことになり、ブルゴーニュでのワイン造りには終止符を打つこととなったのです。それから10年。パリの不動産業で働いていたアントワーヌは再びワインの世界に戻ることを決意しました。新しい機会を探していたアントワーヌはスロベニアを訪れ、その国の進歩に驚きました。
20年前、アントワーヌはスロベニアに恋に落ちていました、そして白ワインに相応しい畑をこのMaribor(マリボル)に見出したのです。彼はパートナーとスロベニアでワイン畑を探し、ここでワインを造り住むことを決意しました。レンシュキ・リースリング(Renski Rizling). ラシュキ・リースリング(Laski Rizling)、シャルドネ、 ケルナー(Kerner)、彼の2.5 ヘクタールのブドウ畑はおよそ35年前に植樹された古木の畑です。コロナ渦の影響でスタートは遅くなってしまったが、2021 年には本格的に栽培を始めることが出来ました。ブルゴーニュでの経験同様、すぐにビオ栽培への変換を進めています。
栽培:2.5 ヘクタールの畑には4 品種植えています。去年の夏に追加で5 ヘクタールにブドウを植えることが許可され、今から2年間かけて進めていきたいと考えています。畑では化学肥料は一切使用せず、手摘み作業で収穫を行っています。畑には雑草を生やしています。醸造::手摘みで収穫したブドウは全房で空気圧搾機でプレス。その後タンクに入れ、軽いデブルバージュをしてから木樽に移します。バトナージュとルモンタージュを行う。温度調節あり、マロラクティック発酵あり。フィルター掛けをし、ワインのPH に応じてSO2わずかに添加します。